プロ野球監督で、名前をあげたら、誰が思い浮かびますか?
私は、星野仙一監督の顔が浮かびます。
と言っても、野球に詳しくないので、テレビやyoutubeでの乱闘や、発言で記憶とても残っています。
1月4日に、星野仙一楽天球団副会長が、すい臓がんが原因で午前5時25分に永眠されたというニュースが目に入りました。
まだ、若かったよね?と思わず検索しましたが、なんとまだ70歳とのこと。
非常に残念です。
星野監督は、どんな功績を残したのでしょうか、ご案内します!!
と言いたいところですが、何と言っても乱闘での発言を見るのが一番かと。
しんみりせずに、動画を並べまくってみました。
それではどうぞ!!
星野仙一さんの略歴
1947年1月22日、岡山県倉敷市生まれ。
岡山県立倉敷商業高等学校で甲子園を目ざし、卒業後は明治大学へ進学。
1968年のプロ野球ドラフト会議で、中日ドラゴンズから1位指名を受け入団。
選手時代のポジションは投手。
引退後は、野球解説者、評論家として各種メディアへ出演。
1986年に中日ドラゴンズに監督とし初就任。
2001年には阪神タイガース監督に就任。
2003年に退任。
2004年1月1日に阪神のオーナー付シニアディレクター(SD)に就任。
2008年には北京オリンピック野球日本代表の監督を務める。
2011年からは東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務め、2013年には自身初となる日本シリーズを制覇し、日本一となる。
監督としては、リーグ優勝4回、日本シリーズ制覇1回を達成している。
2014年、東北楽天ゴールデンイーグルス、シニアアドバイザーに就任。
2015年、東北楽天ゴールデンイーグルス、楽天野球団取締役副会長就任。
2017年、野球殿堂入り。
2018年1月4日永眠。
なんと記念館が美観地区の中にあります。
http://1001-kinenkan.jp/index.html#access
星野仙一監督の伝説の乱闘とは?
星野監督といえば、暴言が有名です。
手もでています。
暴言で退場処分になった事もあります。
決して、言葉は綺麗ではないけれど、野球への熱意が感じられます。と思うのは私だけ?
最近は、何かあるとすぐに問題化されて、マスコミやネットで必要以上に叩かれがちですが、今の時代に監督が若かったら一体どうなっていたのやら。
それでは、動画をどうぞ!
これだけみたら、怖いイメージが付いてしまいますが、野球に対しての思いが強いからこそ、と私は考えています。
こんな動画もありますよ!
まとめ
2018年1月4日に永眠された、星野仙一楽天球団副会長についてまとめました。
いかがでしたでしょうか?
星野監督は、プロ野球で投手として活躍後、監督としても大きな功績を残されました。
功績は素晴らしいものではありますが、数々の暴言、いや伝説を残した方でもあります。
余談ですが、筆者は倉敷市出身であるのと、親世代の方でもあるので、本当にさみしく感じます。
心よりご冥福をお祈りいたします。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。